フォースタートアップス(以下フォースタ)は、異業種で活躍し、素晴らしい実績を積んだ上で入ってくるベテラン勢も多い。入社後は手取り足取り教えるわけではなく、その人が会得した経験ややり方に、ヒューマンキャピタリストとしての自覚や気づきが掛け合わさる。久野駿平(Shumpei Kuno)も、いつしかオンリーワンの価値を発揮する人材となっている。
結婚披露宴・二次会のプロデュース会社、外資の不動産テックスタートアップを経て2021年4月、フォースタに入社した久野。前々職でも前職でもトップ営業として活躍した。元々、根性があり、腹の括り方も違う。というのも、就職までの道が険しかったのだ。高校までは、プロを目指してサッカーに打ち込んだ。その後、プロの道を断念して大学に進学し、起業。本人曰く「大失敗して」、25歳で前々職の結婚式関係の会社に入社したという経緯。
もう後はない状態で就職し、ひたすら真摯に取り組んだ。「最初の会社で、『大切な人に紹介したくなるような価値を提供しなさい』と上司に言われたことが、今でも心に残っています」と久野。この言葉を胸に、常に相手が求めることを考えて営業してきた。入社4カ月でトップを獲り、その後部署異動して、そこでもトップを獲った。
約3年在籍し、外資スタートアップへ転じた。その会社は、国内の有名企業の出資を得て、大々的に日本市場を開拓しているところだった。そこでも久野は入社3カ月でトップを獲った。約2年いて活躍するも、コロナ禍での環境変化を背景に、その事業が譲渡されることになり、退社を余儀なくされた。転職活動の一環でフォースタを訪ね、ほかのスタートアップも受けつつ、最終的にフォースタに入社することになった。
フォースタに決めた理由。「1つは、自分のキャリアの軸として、人生のターニングポイントに伴走するような仕事に携わりたいという気持ちがありました。結婚式もそう。不動産テックの会社では住まい選び。フォースタは仕事でした。もう1つは、カジュアル面談で『仕事は誰とやるかが大事。仕事の上で誰と会うかが大事』と言われたことです。まさにそうだと共感しました。起業家や投資家と膝を突き合わせる経験は、ほかではなかなかできないと思いました」と、久野は当時の気持ちを明かす。
入社して一通りのオンボーディングを受けた後は、「どちらかと言えば放っておかれました」と久野は笑う。決して悪い意味ではない。「事細かなフォローは、僕も求めていませんでした。そんな僕の性格を鑑みたのか、単にとっつきにくかったのか(笑)、管理されるようなことはなく、自走に向けて自分なりに動くことができました」。ただし、最初の1年間は苦労した。元々、toCの営業で成果を出してきただけに、toBの感覚がなかなかつかめなかったのだ。「求められるラインには達していなかった」と久野。助けになったのは、所属チームのマネージャーの存在だった。
「彼はフォースタのトッププレーヤー。彼がどのように企業と候補者をつなぐのか、1年間、ひたすら見ていました。スタートアップは、フェーズごとに異なる課題に直面します。彼はそれらを体系化して捉え、それぞれのタイミングに必要な課題解決、人材を理解していました。一緒に企業担当に就き、彼の企業とのコミュニケーションも隣で見ていました。クライアントだから、起業家だから、という忖度は一切なく、内情にも踏み込んで言うべきことを言う。企業側がアドバイスを求める場面も多々ありました。信頼されていることがよくわかり、すべてが学びでした」。
1年間、久野は「ヒューマンキャピタリストの本質的な価値の模索とトライ」に専念した。徐々に”あるべき姿”を理解し成果を出せるようになった。同時に、自分が起業に失敗した理由にも思いを馳せた。「全部、自分のためにやっていたからだと思います。自分のためなら、簡単にさぼれてしまいますから。だから余計しんどくなる。本当に大変でした。でもその時期を経て、自分は誰かのために動くエネルギーしかないのだと気付けた。前々職も前職も、誰かのための仕事だったから頑張れた。今もそうです。起業家、投資家のためにエネルギーが湧いてくる。同時に彼らの孤独や人に見せない苦しみまで共に感じたいと思う。ヒューマンキャピタリストの影響範囲は大きく、自分次第でさらに広げることができる。やりがいしかありません」。やや長めに苦労した久野だったが、その分、大きく飛躍しようとしていた。
周りのメンバーは、決して久野を放っていたわけではない。多少とっつきにくいにしても、密かに気にかけていた。たとえば、久野がフェムテック領域のスタートアップの担当になったときの話。久野は、個人的な思いからフェムテック領域に関心があった。久野の妻はかつての職場の同僚で、彼女もトップセールスだった。だが、ライフイベントの関係で気持ちと体調が整わず、100%の力で働けなくなった。「わが妻ながら、とても優秀な女性です。その彼女ですら、ライフイベントをきっかけに社会から疎外されている気持ちになり、落ち込みました。看過できないと思いました。女性が活躍しないと日本はダメになります。女性が活躍できる社会をつくりたくて、フェムテック領域に興味がありました」。
その思いを、久野はしばしば口にしていた。すると、フォースタがあるフェムテック企業を支援することになったとき―。「みんなが一斉にメンションしてくれたのです。すぐに『やらせてください』と志願しました」。みんな、久野の話を聞いていたのだ。「久野さん、出番ですよ」と言われているようだった。
担当になった久野は、価値を存分に発動した。まだ初期段階で、経営陣がすべての役割を抱えてしまっているその会社に対して、経営に専念できるよう一定の役割を外すことを提案。素晴らしいキャリアをもつセールスマネージャーなどキーパーソンを支援し、成長に伴走している。マネージャーがしていたように、組織図を広げ、少し先の未来を見据えながら話し合う。「起業家が見えていない課題を顕在化させることが、自分の役割だと思います」と久野。入り込むとさらに見えることがある。半ば「中の人」のスタンスで、二人三脚しながら会社のスケールを目指している。この支援を通して、久野はフォースタ社内でもさらに存在感を発揮していった。
2022年3月に開催したフォースタ感謝祭(スタートアップエコシステムに関わる皆さまをオフィスにお招きして交流する場)で、久野はプロジェクトリーダーを務めた。久野を含めて11人の有志のチームで、この一大イベントに臨み、得たものは多かった。
「セールスのときは、自分ひとりが強くなれば成果を出せました。でも感謝祭は、そうはいきません。考え方も性格も違う10人を引っ張るのは、自分が強くなる以上に大変でした。規模も大きい。ゲスト、加えて弊社のメンバー合わせて500名弱です。プレッシャーは大きくて、あとで奥さんに聞いたら、感謝祭の頃は髪が抜けていたそうです。でも、やっとフォースタの一員になった気がしました。それまでは何となく、自分がフォースタに引っ張られている気持ちだったので」。
感謝祭をきっかけに、積極的に周りに頼るようにもなった。弱い部分を自覚すると、それを補うために周囲の力を借り、結果、より大きなことができるようになる。シニアヒューマンキャピタリスト・久野の誕生だ。
久野の目標はヒューマンキャピタリストとしての価値と影響範囲をより大きくすること。そしてヒューマンキャピタリストが憧れられる存在になることだ。「社会全体で見れば、フォースタって何?という人がまだ多いと思います。人もお金も支援するハイブリッドキャピタルになった今、ヒューマンキャピタリスト全員がそれぞれ担当しているスタートアップが、日本を代表し世界に挑戦していく企業となるまで伴走できれば、本当に尊いし大きな価値だと思います。自分の子どもにもそんな姿を見せたい。そのためには、一人ひとりが強くならねばなりません。自分がさらに上を目指し、且つこれからは自分色のヒューマンキャピタリストを体現する。その姿を見せ、還元することで、後に続くメンバーの成長につながったらいいと思います」。今度は久野が目指される存在へ。そして少し前の久野のような、自走志向のベテランをうまく引き上げられる存在になれたら、フォースタをより強くすることに貢献できるだろう。
入社時には、「誰とやるか」「誰に会えるか」という話に共感した。素晴らしい起業家、投資家と共に歩み、素晴らしいメンバーたちと協力しあう魅力を、日々、実感している。仕事はおもしろく、自然と目線も上がる。結果を出せば、それを誰かが見て倣うだろう。そんな良き循環を、久野が中心となってつくりあげていくつもりだ。