そんな問いに「どうしてなんでしょうね」と、ゆるやかに笑う26歳の青年の姿がそこにはあった。名前は玉城夢大(たましろ・むだい)。for Startups(当時はウィルグループの一事業部)の新卒社員として入社し、丸3年が経過しようとしている。
「子どもが初めて愛す人はおかあさん、みたいな話ってよく聞くじゃないですか。そんな感覚なのかもしれません」
生まれも育ちも沖縄県、天真爛漫な人柄の中に見え隠れする。for Startupsや故郷・沖縄への熱く純粋な想いが、入社から3年が経過した今も、玉城の感情を突き動かしている。
格好良くいうと、参謀タイプ。それが、玉城らしさだ。昔からリーダーとして先陣を切る人間を、真後ろから全力でサポートすることが生きがいだった。「なにより頼られたい。頼られたとき、その要望に100%応えられる自分でいたいし、だからこそ僕は努力をしているんです」。
人をサポートすることのルーツを紐解くと、高校3年時に経験したドイツ留学が浮き上がる。海外を飛び回る父親と、バッハやベートーヴェンを暮らしのBGMにしていた音楽教師の母親との間に生まれた玉城にとって、外国は遠くて、でもちょっぴり身近な憧れの存在だった。
「僕自身、小さな頃からピアノとエレクトーンを習っていて、いわゆるバロック音楽がいつでもそばにありました。それに、育ちの町だった“北谷(ちゃたん)”は、嘉手納基地と普天間基地に挟まれた場所。外国籍の方がすぐそばにいる環境でした」
海外志向は高まる一方だった。思いが募りに募った高校3年時、県費留学によって、1年間のドイツ留学を経験した。ドイツだったのは、ヨーロッパの中で経済力が強く、親日だったから。「ヨーロッパに住んでいるって言えるのが格好いいかなって思っていました(笑)」そう言いながら、玉城はふふっと笑う。
結果として、ドイツでの生活は、玉城にとって記憶に残るものだった。ひとりぼっちの環境の中で、多くの人に助けてもらうという体験ができたから。玉城の根底には、留学時に知った「人から救われることの喜び」が強く残っている。
帰国後、玉城は上京を決意した。留学を経験したことで、より視野を広げる必要性を感じたからだ。成蹊大学文学部国際文化学科に入学し、国際政治を専攻。沖縄県民として、国内外の情勢などを幅広く学び、正しい知識のもとで物事を計れる人でありたいと考えていた。
大学時代に熱中したことといえば、学業の傍らで始めたDJ。ドイツ留学中にクラブで深い人間関係を培っていた経験があったため、視野を広げるためにはもってこいだと考えた。都会のことを何一つ知らない田舎者が、都会の情報を得るためにはさまざまな世代や知識を持つ人とつながりを作る必要があった。
DJは、その後、IT業界やファッション業界に軸足を移す人が多い。玉城とfor Startupsの出会いは、自然と導かれたものだった。たまたま出会ったウィルグループは、玉城にとってはまさに運命を感じさせるものでもあったようだ。
「(for Startupsの親会社である)ウィルグループの説明会で、現メンバーの寺田、土手本、清水が座談会を行なっていたんです。それを聞いたとき、純粋にいいなと。『日本を変えるのは俺たちだ』と語る姿に気概を感じたし、ウェットな雰囲気もすごく魅力的でした」
そしてなにより、当時から志水が掲げていた「成長産業(当時はインターネット産業が全盛)を進化させるために、成長産業領域に優秀な人を支援する」というミッションにも強く共感していた。日本の成長を牽引する企業のそばにはいつもfor Startupsの姿があると感じた。そして、日本の成長の先には、故郷である沖縄の成長もあると考えた。
「他社は考えずに、基本はここ一本で。ただし、当時のfor Startupsはまだ親会社の一事業部でしかなくて。ほかの部署への内定なら蹴ります、と人事に向かって強気なメッセージを発していました」
同期の90名を差し置いて、なんとかfor Startups(当時のNET jinzai bank)の内定を獲得。ヒューマンキャピタリストとしてのキャリアを走り出した。事業部内での社員番号は14番。強気に内定を獲得したものの、当時はまだ組織力が弱かったため、自分の存在価値に少し悩んだ時期もある。
「そもそも、どうして新卒をこの事業部で採用したのだろうか、と生意気なことを考えていました。教育体制もないから、誰も何も教えてくれない。仕事ひとつ取っても、全然効率的じゃない。本当に自分はfor Startupsにいてもいいのだろうかと思ってしまったんです」
入社からもうすぐ3年が経過する。学生時代に憧れだったfor Startupsのメンバーと肩を並べて、成長企業の支援に携わる毎日は入社から変わらない。少しだけ変わったのは、ただのサポート役に徹するのではなく、自分自身もスタートアップの市場に出て価値を作るようになったことだ。
「入社したばかりの頃は、バカなふりをしていれば良かった。みんなが教えてくれるから。でも、もうその技は通用しません。メンバーも増えた今、僕自身が行動することで生み出せる価値提供に重きを置いています」
たとえば、生まれつき持った人懐っこさを活かして、若手起業家を集めたコミュニティイベントを社内のメンバーと主催した。20代の起業家を中心に、65名の「スタートアップで命を燃やす方々」を自社オフィスに集めた。
仲間たちと、若手で日本を盛り上げるために必要なことなどを熱く語り尽くした。これからの日本を牽引する人達のコミュニティを作ることで、for Startupsのバリューのひとつである「Startups First」を自ら体現している。
玉城にとっても、for Startupsにとっても、すべての事業の見据える先は日本の成長だ。そのためには、社内だけではなく、社外の仲間たちも巻き込んでムーブメントを生み出さなければならない。そして、その「場」を作ることができるのが、玉城の強みだ。
「これまでのように先輩たちの背中を追っているだけの毎日は、もう終わりです。志水を始めとする経営陣と同じ視座で物事を見るようにならなければ、と感じています。場づくりは僕の得意とするところですが、まだまだ満足するつもりはありません。よりスキルにも磨きをかけて、より良いイベントも企画していきます」
そんな玉城が目指すのは、for Startupsが掲げたビジョンを体現できる人物になること。玉城はその想いを、当たり前のように熱く語り続ける。
「for Startupsのビジョンは愛せるし崇高なものだと思うんです。だから、僕自身の行動も、すべてfor Startupsにつながるものとなる。もちろん、そのビジョンを掲げた志水を勝たせたいと本気で思います。そして、日本を、沖縄を、元気づける人になれたらと。それが僕の今の願いです」
熱を帯びた口調で語り続ける。
どうしてそこまで、for Startupsを強く強く、愛せるのか。
玉城は「どうしてなんでしょうね」と柔らかく微笑む。
「新卒で入社した企業だから、なのだと思います。僕にとっての初めての経営者は志水ですし、彼が掲げるビジョンを共に体現できる人になりたいと感じたんです。for Startupsのメンバーは、みんな優秀で、エモい。良い意味で予想も裏切るし、なにより格好いい。そんな仲間たちと一緒に、日本の成長に向けて走れるなんて、そんな楽しいことないじゃないですか」
玉城夢大というひとりの人間として。人を助けることをよろこびに変えた人間として。for Startupsの掲げたビジョンの体現を、玉城らしい、持ち前の明るさで体現していく心意気だ。