運命的な出会いに導かれてフォースタートアップス(以下、フォースタ)にやってきた野田翔太(Shota Noda)。だが、決して偶然ではない。挑戦を求める心がつかみ取った選択肢によって、必然的にフォースタと、心から応援するスタートアップと、ヒューマンキャピタリストという職業に出会った。起業家からの信頼も厚く、一心同体となって事業課題や組織課題の解決にあたる。努力が未来につながると実感できる充実した毎日。5月にシニアヒューマンキャピタリストに昇格した野田の、今日までの挑戦の軌跡を追った。
フォースタを知ったきっかけは、当時ヒューマンキャピタリストであった蕪木俊太からきた連絡だった。野田は言う。「蕪木との出会いは、大学1年の春にあったラクロス部の合宿です。いろいろな大学の1年生が集まった合宿で、大学は違いましたが、そこで仲良くなりました。それから、社会人2年目の時に、“会って話さないか”と連絡をもらいました」。大学入学直後の縁から、時を経ても、不思議に思う気持ちはなかった。
約束の日、蕪木は「自分はフォースタートアップスという会社にいて、こんな素晴らしいスタートアップを応援している。この会社が成長すると世の中がこんなふうによくなるんだ…」という話を熱心にした。「僕は当時、特にスタートアップに興味はありませんでしたが、とにかく楽しそうに話す蕪木の姿が印象的でした。こんなふうに楽しく、しかも成長環境で働けるのはいいなと思いました」。あれから2年弱。今では野田も、友人知人に会うと、あの日の蕪木のように、楽しげに仕事の話をしている。それだけ毎日が充実しているからだ。
野田の前職はメガベンチャー子会社。担当業務はモバイルサイトの運営で、新卒1年目からPMを務めるなど活躍した。その上で、今振り返るとしっかりと練られた仕組みがあり、その範囲内で課題に対する施策を講じ、成果を出していたと野田は語る。「一方でヒューマンキャピタリストの仕事は枠組みに捉われない課題に向き合いつづける仕事です。スタートアップは日々、新たな経営課題が生まれ、それに対する解決策を考え、実行します」。人をご紹介して終わりではなく、経営課題の解決策までコミットし、スタートアップを成長に導く一躍を担える立ち位置だからこそ、野田の頭は常にフル回転だ。大変だが手応えは大きい。
特に注力しているのが、A社の支援だ。A社との出会いにもストーリーがある。フォースタを知る前、たまたま、A社の創業社長、X氏と会う機会があった。当時はA社のこともX社長のことも知らなかったが、好印象を持った。そしてフォースタに入社すると、野田を待っていたかのようなタイミングで、それまで取引を休止していたA社との取引が再開した。「あのときの会社だ」。そう思った野田は、志願してA社の担当になった。少しずつX社長との信頼関係を築き、今では、ときには率直なフィードバックを伝えながら経営に伴走する。
入社以来、野田は数々のスタートアップを支援し、多くの個人(候補者)をインスパイアしてきた。野田にとって、ヒューマンキャピタリストは本当にやりがいを感じる仕事だ。
フォースタは2社目。新卒時に前職のメガベンチャー子会社に入ったのは、挑戦したかったから。野田は言う。「就職活動では、最初は商社などを見ましたが、自分には合わないと感じました。改めて自己分析すると、自分は負けず嫌いで挑戦したいタイプ。確かに、それまでの人生を振り返るとそうで、進学、上京、大学の運動部と、常に上を目指してきました。負けず嫌いだから、周りが優秀なほど自分は頑張れる。そう思って、優秀な人がいて、挑戦できる環境を選んだのです」。
内定後、残りの大学生活では、運動部(ラクロス)で念願のリーグ昇格を果たすこともできた。「自分史上最高の瞬間を味わえました」と野田。今度は仕事で最高の瞬間を更新しよう。そんな決意とともに社会人になった。負けず嫌いの野田の目標は、新人賞獲得だった。
野田は、チャンスを得たいという思いから、あえて組織の小さい子会社を選び、狙い通りに活躍した。PMを任されたEC系モバイルサイトは、年度終盤にはコロナ禍の巣ごもり消費にも支えられ、急激に成長した。成果を出し、念願の新人賞を獲得した。だが、目標をクリアすると、野田の心境は変化した。「目標に向かって一生懸命やった1年間でしたが、新人賞を獲得した後、その先を考えていませんでした。一定期間やりきって、燃え尽きてしまいました」。
前職の組織特有の事情もあった。当時は若手の先輩が多く、5年先を歩く人材に乏しかった。そのため、優秀な人は多いがロールモデルがいない。業務面においては、いつしか自分がいなくてもサイト運営は問題なく回るようになっていた。そのような状況に、野田は次第に次の環境を求める気持ちが強まった。蕪木から連絡があったのは、そんなときだった。優秀な仲間、成長環境、自分ならではの介在価値。求めているそれらが、フォースタにはあると感じた。
2020年12月、期待と共にフォースタに入社した。しかし、最初は苦労した。野田は振り返る。「僕は営業経験がありません。前職は社内折衝だけ。そもそも話すことも得意ではありません。最初はカウンセリングが苦手でした。ロープレでは『これでは何を言っているか伝わりません』と言われて、辛かったですね」。
前職とはあまりに違う仕事。営業経験ゼロ。そもそも前職も在籍1年半余り。経験や実績は、やや心もとない。そんな野田に、先輩たちは時に厳しく、温かく寄り添った。「先輩には毎日、問いを投げかけられていました。『なぜですか』とひたすら聞かれる思考訓練の形で。最初は心が折れそうになることもありましたが、逆によくこんなに寄り添ってくれたと今ではとても感謝しています。毎日、僕の進捗を把握し、たとえば行動の数が目標に足りなければ、毎朝9時に来てアクションを一緒に実施してくれたり。落ち込むと飲みに行って話をして。きっと大変だったと思います。支えてくださったからこそ徐々に自走できるようになりました」。
毎日の行動も丁寧に振り返った。課題を見つけ、それに対するアクションを考えて実行する。その記録を細かに日報につけ、先輩と共有し、改善サイクルを回し続けた。地道な努力をしながら、野田は自分の得意領域を確立していった。
当時、フォースタ社内でエンジニアとマーケティング業界の人材を活性化する2つのプロジェクトが進行していた。前職でモバイルサイト運営に携わっていた野田には、どちらも馴染みの深い領域だ。志願して担当になったA社も広告、データ関連の会社。両プロジェクトに参加した。「そのおかげで、メンバー間で知見を共有する場ができ、参加してインプット、アウトプットするうちに、“エンジニアと広告”という自分のコア領域ができていったと思います」と野田は言う。
A社の担当になったことも奏功した。具体的なターゲットを得たことで、課題に対する解像度が上がり、行動の一つひとつが意味あるものとなったのだ。野田は言う。「A社を絶対に市場で影響力の強い会社にできるよう貢献したいと思って頑張ってきました。X社長とは選考プロセスの課題や、事業成長の肝となる組織づくりなどについて、真剣に話し合いました」。その結果、取引再開から1年で5名のご支援を実現できた。
また、目標から逆算して行動し、試行錯誤しながら結果を出すという一連のプロセスで、野田は大いに成長した。入社から約1年半の2022年5月に、シニアヒューマンキャピタリストに昇格した。
思えばA社の担当になった当初、戦略も何もなかった。入社間もないときで、ただ前のめりなだけだった。「フォースタ社内で、とにかく注目してもらおうと必死にA社、A社と唱えていました。自分なりに魅力を発信し続けながら、次第にX社長との信頼関係も強まり、課題への解像度が上がっていきました。1年経った頃に、X社長から『社内で野田という名が轟いている。みんな、いいよねと言っている』と聞いて、本当に嬉しくて。最初は連呼するだけだったのが、1年かけて『ありがとう』と言われる関係に。それだけの結果を出せました」。
願って、努力して、達成した目標。成長した自分。転職時に求めた成長環境、自分の介在価値、優秀な仲間たちは、確かにすべてフォースタにあった。「X社長など経営者の方々と対峙するうえで、自分の能力、スキルを上げなくては期待に応えられません。だから、頑張る気持ちが起きる。社内のメンバーも、候補者の方々も意識の高い人ばかり。自分の意識と行動も変化し、大きく成長できたと思います」と、野田は振り返る。
A社は大きな構想を持っている。その構想に、野田は心酔している。実現すれば日本が変わるだろう。A社だけではない。フォースタが支援する会社はみんなそうだ。野田は、目の前にいる候補者の挑戦を後押しし、そのような数々の素晴らしい会社へと誘う。それらの会社が成長し、候補者ご自身も素晴らしい経験を得て成長し、ひいては日本全体が成長する。野田ももちろん成長する。入社前に漠然と描いた好循環。その実現に、野田は確かな手応えを感じている。
野田は、この充実ぶりを、かつての自分と同じように、迷いを持っている同世代の人に伝えたいと思う。蕪木からDMを受け取り、一歩踏み出した野田の人生は大いに変わった。そして、これからフォースタの仲間になってくれる人たちには、迷い苦しむ野田に寄り添ってくれた先輩たちのように、自分も全力で寄り添うつもりだ。自分の挑戦が、誰かの背中を押し、新しい挑戦が生まれればこんなに嬉しいことはない。野田は、そんな挑戦の連鎖を願い、今日も全力で目の前のコトに取り組む。