小学校時代は、陸上で全国大会に出場。中学と高校では陸上部の部長を務め、学業も優秀。都立トップ進学校から慶應義塾大学に進学し、大学では学園祭実行委員を務めるなど充実した学生生活を送った。就職活動は、選べる状況にあるなかでサイバーエージェント(CA)に。強い意志で輝かしい経歴を手に入れてきたが、何かが違うとも感じ続けた町野友梨。その答えを求めて、for Startupsにジョインした。
for Startupsのメンバーから言われた言葉で、町野の心に深く刺さったものがある。それは「ブランドにぶら下がるのではなく、ブランドを創る側になろう」。都立西高校、慶應義塾大学、サイバーエージェントと歩んできた町野。いずれも「優秀」と言われる学校、会社だ。「”ブランドを創ったのはあなたではないよね。ブランドを創る側に立たないと、いつまで経っても『ああ、優秀だね』と言われるだけで終わってしまうよ。”そう言われて、確かにそうだと思いました」。町野は言う。
陸上と学業を両立し、大学では学園祭の実行委員として活躍。いずれも強い意志で、町野自身が切り拓いてきた経歴だ。だがあくまでも、ブランドは先人たちの活躍で創られたもの。「町野友梨」という名前で何かを成し遂げるには、「自らブランドを創る」くらいの発想の切り替えが必要だ。普通に考えると、随分と斜め上からの助言のようだが、それがサラリと出てくるのは、for Startupsにみなぎる気概と本質的に重要なことをきちんと伝える姿勢ゆえだろう。
入社に至った経緯はシンプルだ。サイバーエージェントでは懸命に働き、結果も出した。在籍期間は2年2カ月。新人時代から難易度の高いクライアントを任され、時には精鋭メンバーを集めたチームにも召集された。小中学生の頃から変わらず、期待されれば応えてしまう。だからどんどん仕事を任され、死にものぐるいで働いた。
だが、町野はふと立ち止まった。「何のために働いているのか」と思ったのだ。広告をやりたかったわけではない。一方で社員はいい人ばかり。「強烈に辞めたい」といった負のエネルギーも沸かない。何となくモヤモヤが募ったとき、他社からの評価を知りたくなった。そこでfor Startupsに出会った。
for Startupsへのジョインを決めたのは、遡ると中学生の頃から抱き続けてきた違和感を晴らせそうな気がしたからだ。就職活動のときの違和感は、「こんなに勉強してきたのに、なんで皆一律に、一社員になってしまうのだろう」。皆が皆、リクルートスーツを着て、時期がくれば金融機関などの大企業を目指す。町野は当時、漠然とスタートアップへの興味はあった。だが知識もなく、選択肢もなく、「せっかくの新卒切符で大手に行かないのはバカだ」という風潮に流された。
もう一つは、中学生の頃から抱いていた違和感だ。やや青臭いかもしれないが、人は生まれた環境によって将来の可能性を制限されてしまうことへの理不尽さだ。「賢くて成績も良い人でも家庭の事情で高校も大学も行けない友だちを見てきました」と町野は振り返る。経済的な問題に加えて、ロールモデルがないことで、上の学校に進むという選択肢に気づかない。
この2つの違和感=町野なりの社会課題をどう解決したらいいかと考えたとき、出した一つの答えが「色々な働き方があるべきではないか」というものだった。「みんなが大企業を目指すのではなく、スタートアップから大手、大手からスタートアップと自在に行き来できる流動性があれば良いのではないかと思いました。多様性がなければ、色々な成功例は生まれません。色々な成功例が生まれれば、教育の場も画一的ではなくなるでしょう。スタートアップを成長させ、成功者を生むことで、お金を稼ぐには、いい会社に所属するだけでなく、好きなことややりたいことを突き詰めるなど、色々な道筋があると伝えられると思いました」。そうすれば教育の現場や就職活動で、ファクトを伴って、道は一つではないと示せる。
「その妄想が、志水の『日本から一人でも多くのザッカーバーグを生む』という言葉と重なり、ここしかないと思いました」。町野は言う。自分も、その選択肢を広げる活動に参画すべく、2018年5月、for Startupsにジョインした。
そんな町野は入社直後、「一番重要なクライアントを持たせてほしい」と直訴した。身に染みついている「評価されたい」気質ゆえだ。それを聞いた執行役員は、「いいね。気合い入ってるね」の一言であっさりOKを出した。
志願して持たせてもらったからには力が入る。これまでの歩みのように、他の人に負けないくらい勉強し、クライアントとリレーションをとり、候補者の気持ちにも細心の注意を払った。初めてのタレントエージェンシー業務は、最初こそ苦戦したが、「ヒューマンキャピタリスト」としての動き方を徹底することで数字も上がってきた。
だが、気持ちには変化があった。数字として現れる評価も嬉しいが、今は、支援した方から「ありがとう」と言われることに、やりがいを感じるという。時には支援につなげられないこともある。それでも、候補者から「考える機会をもらいました。ありがとうございます」と言われれば、それもまた嬉しい。今は「その時」ではないかもしれないが、スタートアップという選択肢を知ってもらえたことで、種を撒くことはできたからだ。遠回りかもしれないが、いつか、その人がまた挑戦を考える日がくるかもしれない。
町野は「働く理由が、『誰かに評価されたい』から、『自分がやりたいからやろう』に変わりました」と言う。「ここでは、『頑張ります』と言うと、『頑張らなくていい。自分のやりたいようにやろう』と言われます。そのかわり『なぜ、やるか』は常に問われています」。だから、誰かのつくった「理想像」であろうと頑張るのではなく、自分の気持ちに一途に突き進むようになった。それは、ずっと誰かの期待に応え続けた町野にとって大きな変化だ。
もう一つ、for Startupsに来て良かったこと。「指摘してくれる人が多い」と町野は言う。「ほめて伸びる人もいるが、私は違います。指摘してもらってマイナスをプラスに変えないと何も伸びません。この会社ほど指摘してくれる人がいる環境は、これまでありませんでした」。愛のある辛辣な指摘は、例えばこんなこと。「お前はテスト野郎だから、自分で自分を壊せと言われました」。苦笑まじりに町野は言う。「ちゃんとやらなくては、と思うあまり自分で殻を作っている。それを壊せと。確かに私は80点・100点を取るのは得意。でも150点を取るのがとても苦手です」。自他ともに認める100点満点のスーパーバランサー。その良さは肯定しつつ、目下、殻を破って150点を目指し中だ。
冒頭の言葉、「ブランドを創る側になれ」に触発された取り組みも始めている。それは、町野の出身高校である都立西高校の卒業生で、スタートアップにいる人や起業している人のコミュニティーをつくることだ。既に一度、集まりを催した。「西高は個性的な人が集まっていましたが、案外普通に就職している人が多い。そのような人が、もし今、つまらないと思っているならスタートアップで活躍してもらおう―という意図で始めました。この試みを成功させて、いずれは西高で登壇したいです」。町野は笑顔で、そんな野望を語る。「西高の生徒に、いい大学を目指すのではなく、自分のやりたいことをやってほしいと伝えたいです」。
スタートアップ界隈で活躍する卒業生が増え、西高=スタートアップといったブランディングを創り出せれば楽しい。まずは自分のできることから、一人で始めたささやかな取り組みだが、案外早いうちに実を結ぶかもしれない。西高でうまくいけば、そのほかの学校にも横展開できる。実際、「告知したら、『日比谷でもやってほしい!』という書き込みもありました」と町野。有望な人材が起業やスタートアップを目指し、多様なキャリア、多様な成功例を出すこと。町野がfor Startupsに来た理由であり、いずれ実現したいことだ。「いい子」の殻を破った町野は、力強い一歩を踏み出している。